チッタゴンはバングラデシュで最大の港湾都市です。コルノフリ川の河口近く、河岸に沿って港の施設が並んでいます。港湾施設そのものへは部外者の立ち入りが禁止されています。港にほど近い、チッタゴン随一の高級ホテルであるアグラバード・ホテルの屋上から港を望むことができます。川には何隻もの貨物船が停泊しています。対岸は緑の森です。

振り返るとチッタゴン市街。林立するコンクリート建築の向こうに緑の丘が連なっています。バングラデシュで起伏のある大都市はここだけです。コルノフリ川は南へSの字を描きながらベンガル湾に注ぎますが、遙か彼方の河口は見えません。空港へ発着する飛行機が見えたなら、そのあたりが河口です。

チッタゴンの地図

バングラデシュ政府公式サイトの地図より作製
空港からベビータクシーで市街に向かうと道路沿いに貨物線が見えます。地図で見ると、途中に大きな操車場があって、ここから何本も貨物線が走っています。一方は空港の目の前まで、一方はチッタゴン駅につながっています。チッタゴン駅をバイパスして本線に直行する線路もあります。素人考えでは、ほんのわずか手を入れるだけで空港と駅を直接結ぶことができそうです。ベビータクシーに揺られながら、ここを走るレールバスの姿を夢想していました。
植民地時代、この一帯はイギリス軍の基地でした。港には軍艦が停泊し、今の空港は当時から軍の飛行場でした。ビルマまで迫っていた日本軍はここを空襲に来ています。
大戦下、インドはイギリスからの独立運動に揺れていました。ガンジーたちが非暴力の抵抗を進める一方で、イスラム教徒たちもまたムスリム同盟を組織していきました。中でもベンガル出身のチャンドラ・ボースは強硬派で、武力に訴えてでも独立をという考えでした。彼は日本軍と手を結び、シンガポールで自由インド仮政府の樹立を宣言します。しかしこの後日本軍は無謀なインパール作戦に突入し、やがて自滅していきます。
バングラデシュの人たちにとっては圧制を敷いていたイギリスの方が問題だったので、日本は共にイギリスと戦った仲間ということになっているようです。

竹の筏