東西連絡列車は、途中で連絡船(フェリー)に乗り換えがあるため、川の具合で遅れることが多いです。さらに乾季は水位が下がって航行不能になり、運休することもしばしばです。
インターシティ列車ティスタ号は、北西部のディナズプールとダッカを結ぶ東西連絡列車です。フルチャリのティスタムーク・ガート(埠頭)に着くまでに、パルボティプール、カウニア、ボナルパラの3カ所でスイッチバック(方向転換)します。毎回、機関車の付け替えで20分停車するので、これだけで合計1時間もロスします。
さらに、砂の堆積が激しいジョムナ(Jamuna)川(ブラマプットラ川)を渡る連絡船は、中州をさけて北へ大きく迂回しなければならず、対岸まで直線距離でわずか12キロのところを2時間50分、列車との乗り換えを含めて3時間40分もかかります。
ディナズプール・ダッカ間は直線距離で280キロですが、これをダイヤ上では13時間50分かけて走ります。

カウニア駅のローカル列車

機関車の付け替え

ボナルパラで折り返したした列車がティスタムーク・ガート駅に着くと、乗客はみな荷物を持って列車を降ります。駅とは言ってもプラットホームはなく、線路に降りてぞろぞろ歩きます。線路沿いには茶店などが並んでいます。

線路が終わって川岸の坂を下ると桟橋に出ます。使い古した連絡船が浮き桟橋として係留されています。ほどなくして右手の下流側から連絡船がやってきます。

船は2階建ての、見たところ新しいものです。側面にはバングラデシュ・レルウェ(鉄道)と書かれています。1等船室は2階にあって、ビニールレザーですがソファーも置いてあります。でもソファーに座ると少々窓が高すぎて外の景色は見えません。

私を含め6人が座っていましたが、乗務員がチケットの確認に来て、3人を1等船室から追い出してしまいました。残ったのは、ダッカでNGOの仕事をしているという人、バングラデシュ鉄道のオフィサー、そして私の3人になってしまいました。この超鈍足列車を1等料金払って利用する人なんて、普通いないです。

◆
桟橋を離れた連絡船は、浅瀬をさけてあちらへこちらへ向きを変えながら、ゆっくり進んでいきます。
船は貨物桟橋の前を通ります。ここは西部線でもメートルゲージ区間なので、貨車は台船に乗せて渡します。ガートの駅から貨車の桟橋まで引込線が5メートル近く下りています。11月のジョムナ川は水位が下がっていますが、増水するごとに引込線を作り直すのは大変だろうと思います。

本流に出た船は北へ向かって遡上します。対岸と見えるのは巨大な中州です。中州には人がいて、渡し舟を待つ長い列ができています。中州に茂った茅を収穫に来たのでしょうか。

さて、時間はたっぷりあります。
1等船室の向かいに食堂があります。並んだ4人掛けのテーブルには花が置かれていて、ダッカのカレー食堂よりきれいかもしれません。
階下の2等席には、薄暗い中に鉄製の長椅子が並んでいます。

船尾に出ると展望が開けますが、乾季の川べりは緑もなく殺風景な感じです。日本にいると想像しにくいのですが、この川には堤防がありません。護岸もされていません。水位が下がった乾季の川岸は砂の壁がむき出しになっています。ジョムナは暴れ川です。わずか200年ほど前まではマイメンシンを通りダッカの北東を流れていたのが、1787年の大洪水をきっかけに流れが変わってしまったのです。川を治めようなどという人間の努力を、ジョムナは拒絶します。
船は中州の切れ目を通り抜け、向きを変えて下流へ向かいます。
機関室など見学しているうちに、船はバハドゥラバード・ガートに近づきました。こちらも古い連絡船が桟橋になっています。現在の船に比べれば小ぶりで、船室は木造の1階建て。丸みを帯びた屋根。水に浮かんだ家のようで、よく見ると味のあるデザインです。その船べりに並んで待ちかまえていた赤シャツのポーターたちが、接岸と同時に飛び移ってきます。

下船して駅への坂を上ります。線路には古い車両が放置されています。パキスタン鉄道の銘板が付いた貨車や、ダブルルーフの客車など年代物ですが、錆びて朽ち果てて行くばかりです。
列車に乗車して出発を待っていると、窓の外を何やら売り歩く少年たちがいます。売っているのは青い菱の実でした。パニ・フォルといって、水の実という意味です。生のまま柔らかい皮をむいて口に入れると、サクサクした歯ごたえで芋のような、かすかな甘味と渋みのある、不思議な味でした。
出発した列車の窓からは、池に入って菱の実を採る男たちの姿が見えます。
ここは水の国です。

追記:ティスタムーク・ガートは砂の堆積で使用不能になり、上流のバラシー・ガートに移設されました。