バングラデシュは、まぎれもなくインド世界の一部です。ウエストベンガルとバングラデシュは同じ言語を話す一つのベンガルでした。幾筋もの鉄道が東西に走り、頻繁な往来があったことが窺えます。西部地区の線路のほとんどは、本来インドと繋がっていたものですが、国境線によって唐突に断ち切られ、長距離輸送の使命を果たせなくなっているのは痛々しいものです。
バングラデシュとその周囲の鉄道網

西部地区を南北に走っている本線は、カルカッタに始まり、ドルショナ(Darsana)で現在のバングラデシュに入り、パクシー(Paksey)の鉄橋でガンジス河を渡り、まっすぐ北上してダージリンへと至る幹線の一部でした。複線の用地が確保された広軌の堂々たる路線です。インド・パキスタン戦争が激化する1965年までは国際列車が走っていたそうです。現在ドルショナで貨物のやりとりはありますが、国際列車は走っていません。北の国境チラハティ(Chilahati)で線路は数キロに渡って撤去されています。国境近くの、今はローカル駅となったドマール(Domar)では、荒れ果てた1等待合室が往時を偲ばせます。
ドマール駅の1等待合室跡

その内部

(追記)ニルファマリ止まりだったインターシティ列車が終点のチラハティまで延長されたため、ドマールにはインターシティ列車が停車します。(2002年現在)
ベナポール(Benapol)・ジョソール(Jessore)間は、カルカッタとクルナ(Khulna)を結ぶ路線の一部でしたが、盲腸線と化したため現在は運行を休止しています。
(追記)2001年に入って、ベナポールジョソール間の旅客列車と直通貨物の取り扱いが再開されました。
また、地図で見ると、北東部のラルモニルハット(Lalmonirhat)から北上する線路は、インド領内へ入ると東へ分岐して、再び半島のように飛び出したバングラデシュ領をかすめ、またインドへ抜けていきます。線路と国境がジグザグに交差してしまったのです。かつてはインド領内を素通りする列車を運行していましたが、現在ラルモニルハットから最初の国境までは休止、バングラデシュ側に孤立した区間は廃止されています。
一方、ジョムナ川を挟んだ東部地区はもともとインドの鉄道網から隔絶されていたのですが、チッタゴン(Chittagong)・シレット(Sylhet)線に同じ歴史を見ることができます。この線路は、天然の良港チッタゴンから平野をアラカン山脈の西縁に沿って北上し、メガラヤの山を越えてアッサムへ至る路線でした。アッサムは有名なお茶の産地ですから、ここで取れたお茶の葉を列車でチッタゴンへ運んだと思われます。そして船積みされイギリス本国へと届けられていたのでしょう。
ところが、平野だけ切り取るようにバングラデシュが独立した結果、メガラヤの麓で線路は断ち切られ、支線であったシレットへの路線として今に残っているのです。
独立後に往来を絶たれた線路(×印)
