美しさと、貧しさと...私にとって、バングラデシュは美しい国。ベンガル文学に名高い「緑と黄金」を私は見たのだ。早苗のライムグリーン。植えて間もない稲のエメラルドグリーン。稔った稲穂の輝く金色。この色彩と美しさをあなたと分かち合えたら。想像してごらんなさい... 朝。陽はとっくに昇っているのに露はゆっくりと上がる。切れ切れになった雲と立ち昇る露の合い間から、太陽はその光を投げかける。そよ風が稔った稲の香りを運んでくる。カルティク月(11月の初旬)は、田の稲がもっとも豊かに稔り、村人がもっとも痩せ細る月。家々の米の蓄えと彼らの働き口は、稲の刈り入れまでは少ないままだ。季節はヘモント(秋)。露に濡れ、稲の香りのする朝、晴れた昼と涼しい夜の季節。 見渡す限りの田畑。ぐるりと広がる田畑のチェッカーボードは遥か彼方の地平線へと消えて行く。稲田に砂糖きびとジュートの畑が交じる。田畑の色は今、緑よりもっと金色。稲田の輝くような金色。まだ立ち残っているジュートの薄い黄色の花。刈り取られた茎から採れた絹のような金色のジュート繊維は束にくくられ、木の枝々に、暗渠の上に、あるいは小さな橋の欄干に掛けられ、日に干される。 大地と水。田畑と水路。どこまでも続く田畑は霧の中から立ち現れ、彼方へと消えて行く。池のよどみや小川の流れに縁取られた田畑。よどみは頭上の雲を写し、流れは陽光に輝く。大地は平和 ― あらゆる幸せの源。水は気まぐれ ― 幸せと破壊の源。 川と舟。舳先まで砂を満載した大きな舟。幅広の舟は粗末な竹の足場を組んでその幅をさらに広められ、土の焼き物を積む。水に取り残された村々や向こう岸から人や動物を渡す小さな丸木舟。中にエンジンを積んだ大きな舟は遠くへと人々を運ぶ。小さな屋形船には行商人が暮らす。ありとあらゆる色や形の帆。破れた帆につぎはぎの帆。人々は綱を引き、竿を差し、櫓を漕ぐ。 デルタ。いくつもの大河は海に至るまでにその流れを分かち、川筋を変える。多くの川が分流し、さらに分流し、そしてまた合流する。無数の小川があちこちを蛇行し、小さな水路や運河に連なる。大きいものも小さいものも、河川のほとんどは毎年の儀式のように堤防を乗り越え、大地を養う。 デルタは見るものを欺く。遠くから見ると、土地は際限なく広大で、平坦で、低く見える。しかし近寄って見ると、土地はその起伏を顕わにする。デルタの水は大地を養うのみならず、来る年も来る年も大地を刻み、造り変える。低い土地は洪水によって養われる。やや高く、さほど肥えていない土地は、洪水の時にも所々しか水に浸からない。そして、高くてもっとも痩せた土地からは、雨が肥えた表土を洗い流してゆく。 村。田畑と水の海原に、他のどこよりも高い土地がある。ここが、木々の育つところであり、人々と動物が暮らしを営むところ。村々のうち、あるものは水の力が形作った高台にある。しかし多くの村々は、長年の間に人々の力によって作り上げられた高台の上に立っている。デルタは、決して人の住める場所ではない。デルタの肥沃な土を養う水は、同時に土地を水に沈める。ほとんど全ての道路や家々は、人々によって高められた土地の上に作られる。 土。土の動き。家屋敷の土地を盛り上げ、つき固め、平らにならす人々。泥と粘土を掘り、運び、小屋の土間や壁を塗りたてる女たち。煮炊きする竈を作るために泥をこねる女たち。泥と粘土を動かし煉瓦に焼く人々。道路に敷くバラスを作るために煉瓦を砕く男たち、女たち。人々は、日々の儀式のように泥と粘土を掘り、持ち上げ、運び、そうして土を再配分する。 人々。昇りゆく陽の下での人々の営み。幼い子供たちと老いた女たちは牛を引き連れ草を食ませる。少年は水牛の背の、大きな日傘の影に座る。白髪の老人と黒髪の幼い少年は、高低の水路の狭間で帆布のもっこをブランコのように振りながら水を揚げる。男たちは野菜を篭に入れ市場に運ぶ。女たちは泥を篭に入れ小屋に運ぶ。幼い少女たちは池に膝までつかり、竹の罠で魚を捕る。 ナツメヤシと竹に鬱蒼と覆われた小道を私たちは進む。傍らには、よどみに胸までつかりながら、腐らせたジュートから繊維を抜き取る男たち。ジュートの腐ったにおいがする。傍らには、道端のジュートの束に繋がれた牛や山羊たち。糞を燃やす火のにおいがする。子供らは私たちを見に走り、手を振る。女たちは木陰にたたずむ。 私たちは向きをかえ、屋敷への坂を登る。カボチャの蔓を這わせた垣根の道を通り、柵で囲った菜園を右手に見て、家畜に食べさすカボチャの蔓を被せた差掛け小屋を左手に見ながら、牛の餌や水を入れた飼葉桶と土の鉢を回って行く。大きな稲藁の山と、積み上げられたジュートの傍らを過ぎ、枝々の間にジュートを吊したマンゴーの木の傍らを行く。 土壁、トタン屋根の家々に囲まれた中庭に入る。中庭の、堅くつき固められた地面には、ジュートが広げて干してある。女たちに招かれて、私たちは大きな家の中を見る。木のベッドといくつかの家具、土の壷、屋根裏にはブリキの箱。 屋敷の女たちが仕事場を見せる。彼女らは、別に作られた料理小屋で煮炊きをする。そこには土の竈が3つ、しつらえてある。この小屋には木で作られた脱穀の道具もしまわれている。彼女らには土地と、牛と、鶏がある。米のご飯と油、スパイス、豆、それに牛乳と卵 ― ささやかな贅沢。ここでの暮らしはシャンティ、穏やかである。 私たちはこの屋敷を後にし、今はほとんど干上がっている水路の、狭い竹の橋を渡り、隣の家へと進む。着いたのはひと間だけの一軒家で、ジュートの茎で作られた茅ぶきの小屋。六畳間ほどの広さ。女がひとり、私たちを中に招き入れる。テーブルが一つ、ぼろを縫い合わせた布が一枚、天井からはマクラメ編みのジュートの吊り篭。彼女はたった一つの竈を見せる。それは小屋の外にあって、木の葉や、草や、何でも見つけられた物を火にくべる。彼女は、小作で世話をしている一頭の子牛を見せる。この四人の家族はその日、少しの塩と唐辛子で飯を食べるだろう。彼らには油やスパイス、豆を買うこともできない。ここでの暮らしは、穏やかではない。 夕暮れ。日が沈み始めるころ、私たちは車で帰路につく。魚捕りの網を上げ下ろしするように巧みに作られた竹の仕掛が、川の浅瀬に大きな足長おじさんのように立っている。網が夕陽にきらめく。川岸の砂地に生える茅の茂みの傍らを過ぎる。羽毛のような穂先が夕陽に輝く。牛糞を燃す煙は、村の近くの田畑の上を層を成して漂う。男たちは、今日の市場での稼ぎにも満たされなかった篭を携え、荷車に揺られて家に帰る。 私たちは車で市場を通る。小間や地べたの露店が、道沿いにびっしり並んでいる。市場は、換金作物のジュートであふれ返っている。ジュートは至る所に山と積まれている。米や稲籾はほとんど売られていない。稲は田に、豊かに稔って立っているが、未だ刈り取られていない。市場に売りに出されている米は高値で取引される。貧しい人々には米の蓄えも、米を買う金もない。 豊かな自然、貧しい人々。デルタに生きることの避けがたい葛藤。肥沃な土が多くの貧しい人々を引き寄せる。バングラデシュの貧しさについては誰もが知っている。バングラデシュの美しさを見た人は少ない。私には、貧しさと美しさのどちらをも忘れることが出来ない。 マーティー・チェン 「A Quiet Revolution」(BRAC刊)より、訳出:酒井泰幸 |
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