心のアレルギー〜 自他の境界で 〜 1. 寄生虫とアレルギー寄生虫がアレルギーを緩和するという話があります。東京医科歯科大学の藤田紘一郎氏が提唱している説です。人体が回虫やサナダ虫のような多細胞の寄生虫に感染すると、侵入者である寄生虫から身を守るために、免疫グロブリンE(IgE)と呼ばれる抗体が作られます。IgEはアトピー性皮膚炎や花粉症、喘息などのアレルギー疾患を引き起こす物質でもあります。しかし、ある種の寄生虫の分泌物が刺激となって作られるIgEは構造が不完全で、アレルギー反応を起こすことが無いというのです。 1950年代までは、回虫は日本でもごくありふれた寄生虫でした。アレルギー疾患の突然の増加は、回虫が日本から駆逐されていく時期と符合します。今日では5人に一人の日本人が、花粉症、アトピー、気管支喘息など何らかのアレルギー疾患を持っています。薬品を使って体内の寄生虫を駆除してしまうと、免疫系は過敏になり、自らの身体を攻撃し始めます。アレルギーとはつまり、自己免疫症なのです。藤田氏によれば、「日本は清潔になりすぎた」のです。 功利主義的な見方をすれば、このような寄生虫は人間のためになるから生かしておく価値があると言うことになります。しかし、寄生虫を一部分として含んだ人間の全体像という見方をすることもできます。このような寄生関係が永続的なものなら、宿主との間に相互依存関係ができていると考えるのが自然でしょう。 回虫のように人体を宿主とする寄生虫は、宿主を痛めつけずに人体と共存する方法を知っています。生の肉を食べて感染する寄生虫が恐ろしいのは、それらがもともと人間を宿主とせず、人間との共存の方法を知らないため、人体をひどく傷付けてしまうからです。 2. 鬱とアレルギーもうひとつ、最近急増している病気があります。全人口の10から20パーセントが鬱病にかかっているとも言われます。鬱にかかった人は自信を喪失し、自分は取るに足りない、必要のない存在だと感じ、自分が悪いと思い、ひたすらに自己を攻撃する罠にはまっていきます。鬱というのは心のアレルギーだと思います。 この二つの類似点は、どちらもアイデンティティーの問題であるということです。免疫というのは細胞レベルのアイデンティティーに他なりません。白血球など免疫を司る細胞は、一人の人間を作り上げている様々な物質である「自己」は攻撃せず、自己の領域に外から侵入してきた「非自己」を識別して攻撃します。一見この自己と非自己の定義は自明のように思われますが、寄生虫とアレルギーの例を見るとわかるように、この区別の境界線は常に揺らいでいるようです。 免疫系は自己の体の外にまで出撃してくることはありませんから、自己の領域がどこまで及んでいるかという境界も重要な問題のように思います。 他人の介入が、それが自分の親であっても鬱陶しく感じられるのは、他人が自己の領域に侵入してきたという認識です。心理的あるいは空間的な境界線を共有できていなければ、「領空侵犯」が頻発するのは当然の成り行きです。 現代社会では、他人との心の接触を断ち、人の心が個室化しています。心の異物を排除した結果のアレルギー反応として、鬱に代表される疎外感が蔓延しているのだとしたら、人と人との心の接触を取り戻す、他人を受け入れ、受け入れられることが、問題を解消する糸口になりうるのではないかと思います。心の交流にはアイデンティティー障害を緩和する効果があるのではないでしょうか。 バングラデシュの人々は、概して日本人よりも友好的で、自分の人生に満足しているように見えます。機械化されていない彼らの生活様式では、お互いに助け合うこと無しには生きていけません。彼らは文字通り相互依存関係の中に生きているのです。その結果、円滑な人間関係を保つために「寄生虫効果」が顕著に現れるのではないかと思います。 バングラデシュ人の親しみ深さは、心の共生関係の現れなのかも知れません。 2000.11.27 酒井泰幸 |
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